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「ジオ歩き秦野『横野山王原遺跡の天地返し』」巡検報告


 2019年6月25日(火)、久々の晴れ間の下、総勢26名が参加し「ジオ歩き秦野『横野山王原遺跡の天地返し』」が実施された。  

 渋沢駅に集合しコースの説明を受けた後、バスに乗り「戸沢入口」で下車、発掘調査中の横野山王原遺跡に向かう。現地では、かながわ考古学財団の畠中俊明氏にご説明とご案内を頂いた。

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 横野山王原遺跡の天地返しは、1707年の富士山の宝永噴火の際に噴出したスコリアが45㎝の厚さで堆積し、耕作ができない状況に陥ったため行われた。

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 復興が困難なことから天領となり、各地からの援助を受けて、5万㎡におよぶ埋もれた土壌を掘り起こしてスコリアと入れ替える大規模な作業によって農地を回復した跡である。

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 農地回復の手段としては、①スコリアを川に流す、②土とスコリアを混ぜる、③天地返しをする、などの方法が考えられるが、①は、増水時に二次災害の危険があり、②は、耕作をするためにはスコリアの何倍もの土と混ぜなければならず、③の天地返しは、元の土壌が使える画期的な方法であったと言えよう。

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 それにしても、重機などない時代、鍬などを使って5万㎡もの土地を1m以上も掘り起す作業はさぞ労力のいったことだろう。

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 また、天地返しの跡が水平方向にずれている地滑りの跡も見られ、天地返し以降の地震等の影響ではないかと説明されていた。

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 その他、罠の跡など、更に古い時代の人々の生活の跡も見られた。今後は更に縄文時代に至る遺跡発掘のため、天地返しの跡は削られてしまう予定らしく、大変残念に思う。

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 後半は、田口・西澤両学芸員の案内で、秦野盆地の西のヘリに当たる戸川地区の地形について巡検を行った。明確な構造は確認されていないが、河川の勾配の変化から撓曲が認められる。西澤学芸員にご用意頂いた地形図や陰影起伏図を駆使して、微小な段差を確認して歩く。地図で撓曲と考えられる地点では、突然水が流れ出し、浸食地形をつくっているところがあった。

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 ここを流れる水無川や四十八瀬川は、明瞭な河岸段丘を形成しており、その段丘面や段丘崖を歩くことで体感できた。2つの川の間にある段丘面には、なだらかながら酒匂川水系の四十八瀬川と金目川水系の水無川との分水嶺が存在することにも気付かされた。

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 この発見の連続は、ブラタモリ「‼」のようでもあり、案内者の田口学芸員は謎を解き明かす名探偵のようにも感じられた。

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 その他、水無川の川原では、戸川(砥川)の地名の由来にもなった砥石(風化した流紋岩)を探すなど、大変実りの多い巡検となった。  (レポート文: 谷 圭司)

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